酒ばかり飲んでいた学生寮の友が逝く。その無念の死に報いてやる!!

【おことわり】

あくまでも、この私信は私の亡き親友に捧げる想いです。

勝手ながら、供養のために書きました。

・黒川の死  

訃報のはがきが届きました。

「喪中につき年末年始の
  ご挨拶をご遠慮申し上げます」

送り主は、黒川の弟さんとその嫁さんからでした。

俺と同じか。・・・そうか。

黒川に弟がいたのか。

弟さんは、結婚されて続いているのか。

黒川は生涯独身のままだった。

俺は2年も続かなかった、バツイチ独身おじさん。

もし、俺が死んだら

弟夫婦が訃報のはがきを、数少ない友人に送ることになるだろう。

少しだけ優越感を覚えながら、

少し、同情せずにいられない奴。

今年の夏、気になって黒川に電話をかけてみました。

”ただいまこの電話は使われていません・・・”

どこにでもいる平凡な名もない

黒川という男を語らせていただきます。

・上京まで

昭和46年

補欠入学をした私は、大学の学生寮から新生活を送ることになりました。

とにもかくにも、故郷から出たくて仕方なかったあの頃。

大阪の大学か東京の大学かどこでもいいから、現役で合格したかった。

数校を受験しましたが、すべて「サクラ、チル」。

半ばヤケになって、誰にも口を利かず、自室に閉じこもっていました。

私以上に辛かったのは、親父だということも知らずに。

受験料に予備校入学金は、親父の稼ぎにかかっていたのですから。

長男の私は、期待の星でしたが

その空気に押しつぶされて、どうにでもなれと開き直ってもいたのです。

酒が、すぐそこにあったら、一升くらい平気で飲んでいたことでしょう。

すべて「サクラ、チル」から1週間のち、補欠合格の電報がありました。

やっと、故郷から離れられる解放感と東京への憧れ。

そして、新生活の学生寮は夢の世界かと思い描いていました。

・学生寮時代の珍友

あの当時の学生寮は、キャンパスの中にあり

講義の開始まぎわまでのんびりできる、最高の場所でした。

そのせいもあって、1回生から4回生までを学生寮で過ごした先輩がかなりいました。

体育会系で有名な大学でしたので、学生寮にもその影響は少なからずありました。

4回生は神様天皇陛下、などと、今考えても馬鹿々々しい上下関係に

私をふくめて、1回生は腹の中では阿保らしいと思っていたと思います。

九州から北海道までの、田舎っぺ1回生連中が集い出会って

体験する寮生活は、酒宴から始まったと言っても過言ではありません。

浪人入学した1回生をのぞき、ほとんどが20歳未満の大学生です。

建て前では法律違反の飲酒も、たばこも、学生寮では無法地帯でした。

入寮して半月が過ぎたころ、新人歓迎会と称する「酒のおもてなし」が開かれたのでした。

日本人の悪習に、新人を酒でいたぶり、アルコール中毒予備軍を増やす

まったく意味のない「いじめ」が横行していた時代が、あの頃でした。

酒が飲めて、裸になって、先輩たちに可愛がってもらい

本心を明かさず、寮生活にのまれてサラリーマン予備軍として大学生する。

そのような、未来図を垣間見るような新人歓迎会。

私は、馬鹿になりきって大酒を飲んでいた、ただの映画好き青年でした。

歓迎会の酒宴もおわる頃、中庭にある池に先輩たちが

飲めない酒に酔った、1回生を放り投げていた光景は

面白くもあり、滑稽なもの悲しいものでもありました。

投げ込まれたかどうかあやふやですが、

飲めない酒に、ぶっ倒れて泡を吹いている1回生が目にとまりました。

同じ4階の寮部屋にいる男。黒川でした。

近所のよしみで、私は喉に手をつっこみゲロを吐き出させ

急性アルコール中毒症状の彼を介抱したのです。

「大丈夫か?」

「・・・」

寝ぼけまなこの黒川は、照れ笑いを返してくれただけ。

あとから聞かされた、介抱の話に、すまなそうな表情を浮かべていたっけな。

酒好き、麻雀パチンコ狂い、合コン、アルバイト、女たらし、勉学に励む特待生、

ノンポリ寮生もいれば、学生運動に走る毛沢東かぶれのインテリ寮生もいました。

そのいずれにも当てはまらない孤独の男。

一浪して入学し、寮生活になじめなかったんだよな。

私とだけは、一緒に酒を飲んだ黒川。

まわりで青春を謳歌する寮生仲間とは一風変わった

破滅の酒でつながった、珍友という造語しか思いつきません。

・ぐうたらな怠け者どうし

入寮して夏休みを過ぎた秋のころ、黒川は学生寮を出ていきました。

集団生活になじめない、奴の孤独は一人よがりだったかもしれません。

大学の近くに一軒家を、同郷である北海道出身の友人と同居していました。

その友人は、どことなく抜けていて飄々とし、

黒川の孤独を包むような感じが、同居することに抵抗がなかったと思います。

毎日の、寮生活はどうしても飽きてくるときが訪れます。

キャンパスの中で寮生活をしていることは、便利ですが

たまには外の空気を吸いたくなる気持ち、その息抜きに

黒川のところへ転がり込む、私がいました。

同居の友人は、二浪して入学した同級生でもありました。

気がねする心配はない、二つ年上のおっさんでした。

黒川とおっさんと私。

ぐうたらな怠け者どうしは、夢を語るでもなく

その日その日を無為に過ごして、時が過ぎていくだけ。

酒ばっかり飲んでいる世捨て人ら。

こういう青春もまた楽し、です。

たまにお邪魔する私でしたが、黒川は、酒が飲めるようになっていました。

ある時、故郷でお見合いをしてふられてからは一段と量が増えたと感じました。

そんな黒川を、からかい半分、励まし半分の私に

「誰かにつけられている」

言って、遠くへ目線を透かし、へらへら笑う。

どこか壊れてしまったのか?

恐れに似た、すこしかわいそうな気持ちが湧いた、私でした。

三回生の途中で、

黒川とおっさんは中退しました。

ふたり一緒に。

なんとなくわかるような気がしました。

・入社前に遊びに来た黒川

一足先に故郷へ帰っていった、黒川とおっさん。

私が卒業するまでの間は、音沙汰もなかった。

それが、卒業式を終えて東京の会社に行く直前に

帰省していた倉敷にふらっと遊びに来てくれた黒川。

久しぶりの再会に、相好を崩した黒川は

子供のようにはしゃいでいたなあ。

黒川は、就職せずに家の農業を手伝っていた。

おっさんは?と聞くと、知らん。

ま。いいか。

なんとかやっているさ。

就職先の東京の会社のことに頭が向いていた、私だった。

めずらしいことに、酒に飲まれないまま、その足で帰った黒川。

私の実家に泊まっていけばいいものを。

なにか、物足りない別れになったぜ。

・札幌に遊ぶ

新卒入社して正月に帰省していたところに、

黒川から年賀状が届きました。

「札幌の雪まつりに遊びにこいよ」

学生時代に一度、夏に遊びにいったことはありますが

冬の札幌ははじめてでした。

会社では1年生のぺいぺい。

孤独な都会生活。

行かないわけがないじゃあないか!

上野駅から夜汽車に乗って青森には昼過ぎに到着した。

そこから、青函連絡船に揺られ、かもめと戯れて函館へ。

待ってくれている「函館の女」などいるはずもなく

ひとり、一面の雪景色をみながらちびりちびり酒を飲む。

列車の暖房は熱いくらいだった。

いつのまにか、うとうとしていた。

「札幌っ、札幌っ」

列車から降りたら、いっぺんにシャキッとした。寒い!

改札口に黒川はいた。

なにを言ったのだろう。

黒川の人懐っこい笑顔が、迎えてくれていた。

「ジンギスカン食って、ビ-ルやるべさっ」

無性に腹が空いてきた。

それ以上に、ビ-ルが欲しくなった。

サッポロビ-ル会館で乾杯。プワ-ッ!!

五臓六腑に生ビ-ルがしみわたる。

「元気か」

「ああ、お前は」

「シナリオやってる」

「なんだべさ?」

それ以上、話はできなかった。

飲みっぷり。

食べっぷり。

ワンワンする会館の熱気のなか、

ジンギスカンを

ビ-ルを放りこんでいく。

酔っていく。

腹がパンクしそうだった。

黒川は、ご満悦そうに私の様子をみている。

夢中になって食べ飲む私は、だんだんと吐き気をもよおして来た。

調子に乗りすぎたのだ。

つけを、トイレで支払って、戻ると

ジンギスカンにビ-ルが追加されていた。

「遠慮しないべさ。ほれ、どんどんやるべ」

「よっしゃ、やっちゃらあ!」

酔いの途中で、黒川の顔が二重三重にかすんでいく。

それでも、大ジョッキを一気に煽っていた私。

味など関係なかった。

黒川の顔が、ゆかいな表情がうれしかったのだ。

酔いつぶれた私を抱きかかえるようにして

黒川の実家までタクシーで帰ったのは夜中だった。

翌朝、黒川のご両親に挨拶をして、食事をいただいた。

みそ汁にでっかいジャガイモが入っていた。

北海道のおおらかな大地の味がしたようだった。

素朴な農民として生きてきたご両親は口数も少なく

お愛想も慣れていないが、刻まれた深い皺に、ご苦労をみるようだった。

雪まつり会場の壮大な雪の作品群に感動し、

ニセコスキ-場では滑って転んで、リフトの恐怖にガチガチ。

南の国、倉敷に育った私を

ケラケラ笑いながら、面白がっていた黒川の野郎!

また、来年もくるべさ。

ああ。またな!

結局、3年続けて

冬の札幌に行ってしまったのです。

すすきの、夜の街。

飲みすぎて女も抱けなかったのは、

黒川、お前のせいだぜ!!笑

・便りは語る

冬の札幌を最後に訪れてから数年間は、

よくある、年賀状だけの挨拶くらいのつきあいでした。

私が都落ちみたいなかっこうで倉敷に帰り、

心機一転の生活をはじめた30過ぎた頃です。

黒川からの年賀状に、

あの黒川と同居していた「おっさん」の名前がありました。

”体調を壊して入院しているよ”

久しぶりに聞く、おっさんが懐かしくて

お見舞いかたがた、便りをはがきに書いて送りました。

おっさんから、返事が思いのほか早く届き、

”元気です。退院したら働くことにする”

ぶっきらぼうなそのはがきは、うわべだけのことで

飄々とした、つかみどころのないお人よしそのもの。

心配する程のものではないか。。

と、あまり気にしないでいたのです。

1年が過ぎ、おっさんから年賀状が。

黒川からも届きました。

”家にいる。仕事をする気になれない”、おっさん。

”また、札幌にこいよ。遠慮するな”、黒川。

とりとめのない便りは

翌年も翌々年も似たり寄ったりのものでした。

”体調不良。入院したり退院したり。

黒川から連絡ない。体調不良と聞いてる”、おっさん。

”仕事探しているよ。いま、体調を壊している。

札幌に遊びにこいよ。ジンギスカン。ビ-ル・・・”、黒川。

仕事はしたいが、体調不良。入退院を繰り返している様子のおっさん。

私は、励ましの返事を送っているだけでした。

家の農業に身が入らず、他の仕事がしたい。

孤独な酒を飲み、ぐうたらな毎日に流される黒川。

破滅の酒に身を持ち崩していっている黒川にも、

励ましの言葉をかけるのが、嫌で、私自身が恥ずかしかった。

おっさんから、便りはぷっつり途絶えました。

黒川からの手書きの年賀状は欠かさず届きましたが、

一行にこめた

”遊びにこいよ”の文字はミミズみたいになっていた。

そのころの私も、糸の切れた凧でした。

大好きな仕事を辞めざるをえなかった、そんな頃でした。

学生寮新人歓迎会で、喉に手を突っ込んで反吐を吐き出させた黒川に、

大酒を覚えさせた私は、時を超越し、一緒になって破滅の味を貪るのでした。

北海道、札幌、ビ-ル会館、ジンギスカン、あふれる大ジョッキのビ-ルの泡・・・

・ありがとう

ミミズがのたうちまわったような手書きの年賀状。

40代、50代と、その形は変わりませんでした。

変わっていったのは、年々身体がいうことを利かなくなり

酒の回りが早くなっていったのではないか。

”おもしろくないよ。入退院ばかりしてる”

ミミズ文字は、伝えていました。

黒川ばかりがおもしろくないんじゃないんだぜ。

もっと不幸な人たちはいっぱいいるんだ、甘ったれるな!

そんな事を書けない私も、

酒が祟って、難病の引き金になり、歩行困難な体なんだ。

借金をつくり、毎月の返済に気が狂いそうなんだ。

たまたま、成功した。金持ちになった。

たまたま、酒におぼれて負け犬になった。

なった、なったは過去のこと。

たまたま、そうなった。

いまこれから、未来のことなんてわからないんだぜ。

わかったようなことをホザキ散らしていたんだよな。

黒川のご両親がなくなり、

”さびしいよ。また飲みにこいよ。おごるよ”

と、ミミズ文字が泣いていた。

ごめんな。札幌へ行こうと思えば行けたんだ。

いつか、行くから。な。

嘘をつけ!

今年の年賀状は、できあいの印刷はがきでしたね。

”さびしいよ。飲みにこいよ。おごるよ”

熱燗の湯気に浮かび上がるその一行はどこにもなかった

蒸し暑い梅雨の晩。

何か気になってお前に電話をかけたが・・・

遅かった。

名もなく普通の人間で一生を終えた黒川であったと思いますが、

「夢はあったのか?」

「希望は持っていたか?」

真剣にそんな話もしなかったなあ

俺はある。

この文章を書いているこれが

夢であり希望なんだ。

黒川の人生を

備忘録には決してさせない!!

安らかに眠ってください。

ありがとう、黒川。

すまなかった。 合掌

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